うちの弟に次男が誕生しました。
予定日より3ヶ月以上早い出産。
在胎25週。わずか818gの小さな小さな赤ちゃん。
実は妹も長男を27週、1012gで出産してます。
これからの日記は妹が弟の奥さんが緊急入院した翌日に書いた日記です。
弟の赤ちゃんも妹の子供もこれから大変な困難が待ち受けてるかもしれない。
でも産まれてきてくれた、大切な輝く命です。
誰だって健康で元気な子供を産みたい。そう思いますよね。
だから読んでほしいです。
みんなに読んでほしい。
そして考えてほしい。
多くの人に読んでほしいのでそのまま載せます。
☆☆☆☆
昨夜、私の兄の奥さんが入院しました。
予定よりかなり早く赤ちゃん産まれるかもしれません。
私に何かできる事はないかと考えたけど、何もできなくてこれから妊娠するかもしれない人に伝えようと思った。
義姉の事は何を言ってももう遅くて、1日でもお腹にいてくれる事を願うしかできません。
でもこれから妊娠するかもしれない人、周りに妊娠してる人がいるならどうか読んでほしい。
私が初めて妊娠した時、『元気に産まれるかな?』の心配なんてほとんどしてなかった。
『自分に産めるのか』とか『どんな痛さなんだろう』そう思ってた。
お酒はやめた。
たばこは吸ってなかった。
これは妊婦にとって当たり前の事。
だってお腹の中の赤ちゃんに良くないんだから。
『お腹が張る』って事がよく分からなくて無理してたと思う。
もちろん走ったりしてた訳じゃないけど。
散歩行ったり、家が2階建てだったから上り下りはしてた。
『今お腹張ってるんだな』って思うようになってからも、『これは異常だ』なんて思わなくて、『まぁ、この時期みんな張るって本にも書いてたな~』くらいにしか思ってなかった。
25週の検診の時に『下がってきてます』って言われて緊急入院した時も、初めはそんなに緊張感もなくてすぐ退院できるって思ってた。
今まで順調にきてたから、『今すぐ産まれる』なんて全く考えてもみなかった。
『自分だけは大丈夫』
どっかでそう思ってる自分がいた。
交通事故にあったり、空き巣に入られたり、ニュースで見て大変だなって思う事、でも『まさか自分が』『自分に限って』と思う。
それと同じくらい危機感なんてなかったんだ。
でも実際入院して食事もトイレもベッドの上に寝たまま。
『今陣痛が来てもおかしくない』状況になって初めて自分の体の状態を知った。
私は普通の妊婦さんより楽な生活をしてたと思う。
実家に住んでたから家事もほとんどしてなかったし、買い物も毎日じゃないし、妊婦だからという理由を付けて寝てたりしたから。。
でも、こうなった。
『もっと気を付けていれば』
後悔しても遅くて、
『お腹の中に1日長くいれば、生存率が1%あがります』
先生に言われた時には、自分の感情が抑えられないくらい泣いた。
『妊娠は病気じゃない』ってよく言うよね?
病気じゃないよ、もっと大切な事。
この世に命を産むって大変な事。
お腹の中の赤ちゃんには母親しかいない。
私にしか気付いてあげられない。
きっとお腹の息子はサイン出してたんだよね。
私はそれを気付かなかった。
入院してしばらく経って、陣痛が来て出産。
手のひらに乗るくらいの小さな命。
初めて息子に会いに行った時、
私の指よりも細い手足、拳ほどの頭。
まだ自分で呼吸もできなくて人工呼吸器をつけられて手足には無数の点滴。
痛々しいわが子の姿に私は涙で見てる事さえできなくなって倒れてしまった。
『ごめんね。ごめんね。ごめんね』
息子に触ると、温かかった。
生きてる。頑張って生きようとしてくれてる。
私がしっかりしなきゃと思った。
周りには『大丈夫!!』と言い、毎日会いに行った。
授乳室で回りには元気に産まれた赤ちゃんを抱いたお母さん。
私は一人、おっぱいをしぼってた。
搾り過ぎておっぱいはアザだらけ。
でも私にできる事はそれしかできなかった。
私の気持ちとはうらはらに息子の病名は増えていく一方。
脳出血からはじまり、動脈管開存症、水頭症。。
何度も呼び出されて投薬了承のサインをして、見守る。
ウイルスに感染して、息子に触れる事さえできない一週間もあった。
抱く事ができたのは生後17日の時、2、3分だけだっこさせてもらえた。
その時972グラム。
自分の子供を抱く、そんな当たり前のような事ができなかった私にとっては特別な出来事だった。
だっこできる度、『3回目だ』『5回目!』と数えてたくらい。
呼吸器がとれたのが生後一か月。
初めておむつをかえたのもその時。
ミルクが1ml増える度喜んだ。
息子の事が心配で眠れない日なんて数えきれなかった。
それから何度も危機を乗り越え、手術して退院までは長かった。
退院しても1週間に2回の検診。
だんだん1週間に1回になり、2週間に1回になり。。。
今でも小児科には半年に1回、眼科には5か月に一回通ってる。
それとは別に市がやってる療育相談にも。
検診ではつねに引っかかるし、病気になりやすい。
『未熟児』を理由に予防接種や、診察を断れたりもした。
外で知らないおばさんに何か月?って聞かれるのが嫌で嫌で外に出れなくなった時もあった。
今でも息子に対して小さく産んでしまった事を申し訳ないと思ってる。
私にはどうしようもなかったかもしれないけど、何かできたんじゃないか。。そう思えて仕方がない。
『なにが書きたかったんだ?』
未熟児で産まれたらその時だけじゃない、これからもずっと大変ってこと。
健康で産む事の大切さ。
そうならないために細心の注意をしてほしい。
『自分に限って』なんて絶対思わないで。
息子は元気です。
未熟児の中ではかなりの優等生と言われています。
同じくらいで産まれた友達でも、たくさんの病気を抱えて頑張ってる子もいます。
息子も目を手術するかもしれません。
未熟児で産まれてしまう事の大変さ知ってほしい。
義姉には息子の大変さあまり伝えてなかったから。
3か月に1回くらい、いつ会っても息子は元気だったから。
『無理しないでね』
『安静にしてね』
『しんどくなったらすぐ休んで』
本当だよ。
私がもっときつく言ってれば。
そう思えてしまう。
今はただ1日でも長くお腹にいてくれる事を願っています。
photo by The Jordan Collective
☆☆☆☆
昨夜、私の兄の奥さんが入院しました。
予定よりかなり早く赤ちゃん産まれるかもしれません。
私に何かできる事はないかと考えたけど、何もできなくてこれから妊娠するかもしれない人に伝えようと思った。
義姉の事は何を言ってももう遅くて、1日でもお腹にいてくれる事を願うしかできません。
でもこれから妊娠するかもしれない人、周りに妊娠してる人がいるならどうか読んでほしい。
私が初めて妊娠した時、『元気に産まれるかな?』の心配なんてほとんどしてなかった。
『自分に産めるのか』とか『どんな痛さなんだろう』そう思ってた。
お酒はやめた。
たばこは吸ってなかった。
これは妊婦にとって当たり前の事。
だってお腹の中の赤ちゃんに良くないんだから。
『お腹が張る』って事がよく分からなくて無理してたと思う。
もちろん走ったりしてた訳じゃないけど。
散歩行ったり、家が2階建てだったから上り下りはしてた。
『今お腹張ってるんだな』って思うようになってからも、『これは異常だ』なんて思わなくて、『まぁ、この時期みんな張るって本にも書いてたな~』くらいにしか思ってなかった。
25週の検診の時に『下がってきてます』って言われて緊急入院した時も、初めはそんなに緊張感もなくてすぐ退院できるって思ってた。
今まで順調にきてたから、『今すぐ産まれる』なんて全く考えてもみなかった。
『自分だけは大丈夫』
どっかでそう思ってる自分がいた。
交通事故にあったり、空き巣に入られたり、ニュースで見て大変だなって思う事、でも『まさか自分が』『自分に限って』と思う。
それと同じくらい危機感なんてなかったんだ。
でも実際入院して食事もトイレもベッドの上に寝たまま。
『今陣痛が来てもおかしくない』状況になって初めて自分の体の状態を知った。
私は普通の妊婦さんより楽な生活をしてたと思う。
実家に住んでたから家事もほとんどしてなかったし、買い物も毎日じゃないし、妊婦だからという理由を付けて寝てたりしたから。。
でも、こうなった。
『もっと気を付けていれば』
後悔しても遅くて、
『お腹の中に1日長くいれば、生存率が1%あがります』
先生に言われた時には、自分の感情が抑えられないくらい泣いた。
『妊娠は病気じゃない』ってよく言うよね?
病気じゃないよ、もっと大切な事。
この世に命を産むって大変な事。
お腹の中の赤ちゃんには母親しかいない。
私にしか気付いてあげられない。
きっとお腹の息子はサイン出してたんだよね。
私はそれを気付かなかった。
入院してしばらく経って、陣痛が来て出産。
手のひらに乗るくらいの小さな命。
初めて息子に会いに行った時、
私の指よりも細い手足、拳ほどの頭。
まだ自分で呼吸もできなくて人工呼吸器をつけられて手足には無数の点滴。
痛々しいわが子の姿に私は涙で見てる事さえできなくなって倒れてしまった。
『ごめんね。ごめんね。ごめんね』
息子に触ると、温かかった。
生きてる。頑張って生きようとしてくれてる。
私がしっかりしなきゃと思った。
周りには『大丈夫!!』と言い、毎日会いに行った。
授乳室で回りには元気に産まれた赤ちゃんを抱いたお母さん。
私は一人、おっぱいをしぼってた。
搾り過ぎておっぱいはアザだらけ。
でも私にできる事はそれしかできなかった。
私の気持ちとはうらはらに息子の病名は増えていく一方。
脳出血からはじまり、動脈管開存症、水頭症。。
何度も呼び出されて投薬了承のサインをして、見守る。
ウイルスに感染して、息子に触れる事さえできない一週間もあった。
抱く事ができたのは生後17日の時、2、3分だけだっこさせてもらえた。
その時972グラム。
自分の子供を抱く、そんな当たり前のような事ができなかった私にとっては特別な出来事だった。
だっこできる度、『3回目だ』『5回目!』と数えてたくらい。
呼吸器がとれたのが生後一か月。
初めておむつをかえたのもその時。
ミルクが1ml増える度喜んだ。
息子の事が心配で眠れない日なんて数えきれなかった。
それから何度も危機を乗り越え、手術して退院までは長かった。
退院しても1週間に2回の検診。
だんだん1週間に1回になり、2週間に1回になり。。。
今でも小児科には半年に1回、眼科には5か月に一回通ってる。
それとは別に市がやってる療育相談にも。
検診ではつねに引っかかるし、病気になりやすい。
『未熟児』を理由に予防接種や、診察を断れたりもした。
外で知らないおばさんに何か月?って聞かれるのが嫌で嫌で外に出れなくなった時もあった。
今でも息子に対して小さく産んでしまった事を申し訳ないと思ってる。
私にはどうしようもなかったかもしれないけど、何かできたんじゃないか。。そう思えて仕方がない。
『なにが書きたかったんだ?』
未熟児で産まれたらその時だけじゃない、これからもずっと大変ってこと。
健康で産む事の大切さ。
そうならないために細心の注意をしてほしい。
『自分に限って』なんて絶対思わないで。
息子は元気です。
未熟児の中ではかなりの優等生と言われています。
同じくらいで産まれた友達でも、たくさんの病気を抱えて頑張ってる子もいます。
息子も目を手術するかもしれません。
未熟児で産まれてしまう事の大変さ知ってほしい。
義姉には息子の大変さあまり伝えてなかったから。
3か月に1回くらい、いつ会っても息子は元気だったから。
『無理しないでね』
『安静にしてね』
『しんどくなったらすぐ休んで』
本当だよ。
私がもっときつく言ってれば。
そう思えてしまう。
今はただ1日でも長くお腹にいてくれる事を願っています。
これを読んで不快に思った人がいればごめんなさい。
すべての赤ちゃんが、苦しまず元気に産まれてきてほしいと思います。
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