現在中学3年生の長女。
先週志望私立校へ願書を提出に行きました。
勉強は嫌い。
勉強はしたくない。
そう言っていた長女。
中学3年生になり周りの雰囲気もあり、「やる気」は無いけど「やらなきゃいけない気持ち」にはなっている様子。
お尻に火がつくのがと〜っても遅かったとは思うけど、本人がやる気にならなきゃ無理矢理机に向かわせたところで意味が無いと思うので今までは見守っていました。
「勉強しなさい」って言いたい。
でも言っちゃいけない。
言ったところで返ってくる答えも知ってる。
「あなたのために言ってるの!」
それは本当に長女のためなのかな?
勉強したくなくてしてこなかったのは長女。
どんな結果であれ、それは長女自身の問題。
私はきっと泣く長女が見たくないから、私のために言ってしまうのだと思った。
悲しむ長女を見たくない。
後悔させたくない。
周りにダメだったと言いたくない。
これって全部長女ではなくて、私の気持ち。
後悔するもしないもそれは長女の問題。
長女が勉強してこなくて、その結果ダメだったとしても、長女はそのことをもしかしたら後悔はしないかもしれない。
その結果を学びとしてプラスに捉えるかもしれないし、志望校に受からなかったからこその出会いももしかしたらそこにあるのかもしれない。
(あれ?なんかダメになること前提になってる?)
勉強をしないのは長女自身。
そのため選択肢が少なくなったのも長女の責任。
その中で志望校を決めたのも長女本人だし、
その結果がどうなっても長女の人生なんだ。
親である私が出来ることは
信じて見守ること。
親が先回りして草を掻き分け石を避け安全な道を作ってあげることは簡単。
だけど子どもがその道をその通り進まないことは知ってる。
草も石もある獣道を通りたがるもんだもん。
歩こうねって言ったって手を離して走りたがるんだもん。
それなら私は、「安全な道を作る」より「転んだ時の立ち上がり方」を子どもにしっかり教えたい。
転んじゃったね。
痛かったね。
一人で立てたね。
偉かったね!
転んでも立ち上がる強さを知っていたら、一人でも大丈夫。
転んで痛いことを知ったら、転ばないように歩くことも覚える。
親はいつまでもそばにいられる訳じゃない。
私に出来ることは、一人でも立ち上がれるよう逞しく育てること。
そして信じて見守ること。
見守ること。
口を出さずに見守ること。
これが難しいっ!
言いたくなるんだ(>_<)
でも信じてる。
がんばれ!長女っ!