人生楽しんだもん勝ち♫

キャラ弁・スイーツ・和柄雑貨作りに、ボディメイクも加わりました。、、、気ままな幸せTime♡

父さんのお好み焼き

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父の思い出

私の父はとても厳しい人でした。

昔ながらの亭主関白で家に帰ると父の指定席のソファに座り動くことはない。

もちろん料理もしなければ、キッチンに立っている姿すら見たことがありません。

父の日に思う。いつまでも尊敬できる父ってかっこいい

 

台所は女の場所と思っていたのかは知りませんが、父がキッチンに踏み入る姿を見たことがないのです。

「おいお茶。」「コーヒー入れてくれ」

父は冷蔵庫を開けることも、コンロを使うこともありません。

食事を終えた食器を洗うこともなければ、キッチンに食器を下げることもしません。

 

そんな父の唯一の手料理がお好み焼きでした。

 

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父さんのお好み焼き

キッチンに立つことのない父の手料理。

みんなが揃う食卓に大きなホットプレートを出し、目の前で焼くお好み焼き。

これだけはなぜか「父の仕事」でした。

 

なぜそうなったのかは覚えていません。

でも物心ついたときからお好み焼きだけは父が焼いていたのです。

 

準備をするのは母です。

粉を溶くのも、キャベツを切るのも、焼きそばに下味をつけるのも、準備はすべて母。

父がするのは用意された材料をホットプレートで焼くだけ。

でもそれはぜったいに母が触ることのない「男の仕事」のようになっていました。


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普段料理をすることのない父が目の前で美しい層のように重ねていく、広島風のお好み焼き。

父はしゃべることもなく、お好み焼きを返すタイミングをじっと見計らいます。

幼かった私たちも無言で見つめその焼きあがりを待っていました。

特別な日だけ父が振る舞ってくれる手料理は、どこか儀式のようでとても貴重なものだった子どもの頃の思い出です。

 

熱々のお好み焼きをコテで食べるのも父のこだわりでした。

お皿に移してお箸のほうが食べやすいのに、コテで食べる。

熱々をハフハフしながら。

ホットプレートにおいているお好み焼きは次第に裏が香ばしくなってくる。

それがまた美味しかった。

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崩れてしまったお好み焼き

そんな父が脳梗塞で倒れたのは8年前。

右半身麻痺が残り、リハビリをしてなんとか杖を使い装具を付けて歩けるようになったけれど右手はほとんど動きません。

利き手だった右が不自由になり、ペンもお箸も強制的に左になりました。

 

家を出て離れて暮らす私たち。

そんな私たちが実家に行くと、父はお好み焼きを作ろうとしてくれます。

それは脳梗塞になり、退院したあとも同じでした。

 

でもお好み焼きは片手で返すには難しかった。

父のお好み焼きは私たちの目の前で崩れてしまい、それから父はお好み焼きを作らなくなってしまいました。


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母の愛のフライ返し

昨日お盆なので実家に顔を出しに行ってきました。

孫の子どもたちも連れて。

母が「今夜は父さんのお好み焼きよ」と言いました。

 

驚きました。

父さんが倒れてから、目の前でお好み焼きが崩れたあの日から食べてなかったのです。

家で関西風のお好み焼きは作っても、広島風は「父の味」で私には作ることができなかった。

久しぶりの父のお好み焼き。

 

でも大丈夫なのかな?

麻痺は今も変わらず残っています。

 

お好み焼きの準備を始め、母が持ってきたのは大きな大きなフライ返し!

なにこれ?!!

こんな大きいの見たことない!

業務用??

子どもたちも私も目を丸くしました。

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 お好み焼きは父さんの誇り

「お好み焼きだけは父さん、自分で作りたいみたい。」

母がこっそり言いました。

そんな父のために母が名古屋まで行って買ってきたという大きな大きな20センチ幅のフライ返し。

これなら片手でもお好み焼きを返すことができるらしいのです。

 

昔と変わらない手順で目の前にお好み焼きの層ができていきます。

家で広島焼きを作ることがないので子どもたちは食べたことがない。

じっと見ている。

そろそろかな。。。

緊張の瞬間が訪れます。

 

もし失敗したら父さんふさぎ込んでしまうかもしれない。

そんな不安もありました。

父の唯一の手料理。

もしまた崩れてしまったら父が壊れてしまいそうな気がした。

 

ドキドキ。

祈るように見つめる。

 

父はその大きな大きなフライ返しをギュッと握り、勢いよくひっくり返しました。

ホットプレートの上でお好み焼きが舞った。

おぉぉぉ!!

きれい!

美味しそう!!

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お好み焼きで感じる父の愛

久しぶりの父さんのお好み焼き。

昔と同じでとてもとても美味しかった。

 

「あなた達に食べさせたいから父さん練習してたのよ」

あとから母がこっそり教えてくれました。

動く左手に大きなフライ返しを持ち、動かなくなった右手に中くらいのフライ返しで支える。

ぎこちなく危なげで昔とは違うけれど、誰にも触らせずお好み焼きを仕上げていく姿はあの頃と同じ父さんのままでした。

 

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お盆には私たちが行くからそれまでにと練習していた父。

私は父にかわいがってもらった記憶がほとんどなく、父の思い出はいつも後ろ姿ばかりでした。

そんな父が、「特別な日のお好み焼き」を私たちが行く日に作ってくれる。

練習してくれている。

すごく遠回しだけど、これが父の愛なんだろうなぁ。

とあの頃より少し大人になった私は思いました。

 

父のプライドを守るため、大きな大きなフライ返しをわざわざ買って父に作らせる母。

母のとんでもなく大きな愛を感じました。

お好み焼きもキッチンで作ったほうが絶対早いのに、

「それが父さんだから」

この言葉ですべて受け入れる。

なんだか母には一生かなわない気がしました。


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変わらないでいて欲しい

なんでもないいつも通りの日々が幸せ

なんて言うけれど、それって本当ですよね。

脳梗塞になって倒れた父。

その日を境に生活が変わってしまいました。

当たり前が当たり前じゃなくなる。

 

親っていつまでも「親」のイメージだったけれど、最近では会うたびになんだか小さくなってきている気がします。

親っていつまでも親でいようとするけれど、できないことも出てきました。

不便なことも。

 

親にはずっと変わらないでいてほしい。

けれど、変わってしまうこともちゃんと受け入れて

そして親孝行していきたいな。

そんなことを感じたお盆でした。


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