自分で決断することを教えてくれた親に感謝
私は母親とあまり仲がよくありません。
毒親とまでは言いませんが、親から受けた影響で生きづらさを感じていました。
けれどひとつだけ感謝していることがあります。
それは私の人生を私自身で選ばせてくれたことです。
子供の頃からどの道を選ぶか決めなければいけない場面はいくつもありますよね。
例えば中学校に入学してからの部活動。
親が口を出す家庭も多いと聞きますが、私の親は何も言いませんでした。
私は小学生から剣道を習っていたので、周りから中学校でも女子剣道部に入ると思われていましたが、私は器械体操部に入りました。
やってみたかったんです。
バク転とか平均台とか。
全くやったこともない器械体操でしたが親は「やりたいならいいんじゃない?」と私の選んだことに対して反対せずレオタードを購入してくれました。
例えば中学3年生の進路選択。
どの高校を選ぶか進路指導の先生と母親と私の三者面談で何度も話し合ったのを覚えています。
当時先生は私にA高校を薦めていました。
母親も家から近いA高校が良いと言っていました。
しかし私はB高校に行きたかったのです。
先生は反対しましたが、母親は「あなたの人生、あなたの行きたい高校に行きなさい」とB高校への進学を後押ししてくれました。
そのおかげで、卒業から20年も経つ今でも仲良くしている親友と出会えました。
例えば高校卒業後の進路。
これも大きなわかれ道でした。
私は早く家を出たかったこともあり就職を選びました。
母親は何も言いませんでした。
この時就職を選んだから就職先で元旦那とも出会うことができたし、今3人の子どもたちがいます。
出会いがなければ子どもたちも産まれていませんし、今の私はいません。
就職して半年で婚約したいと言った時も「あなたの人生。自分で決めなさい」と言い、助言はされましたが決断に口は出されませんでした。
自分で選ぶことは自分で責任を持つということ。
あなたの目の前にAとBふたつの扉があります。
どちらを選びますか?
Aの扉がいいかBの扉がいいか、扉の向こう側は誰にもわかりません。
どうやって決めますか?
迷ってしまいます。
誰かに決めてもらいますか?
それもいいでしょう。
だけど、もしその誰かに決めてもらった扉の先が面白くなかったらどうしますか?
きっと「こっちがいいって言ったから選んだのに面白くないやん…」「あっちにしたら良かった…」と愚痴ってしまいませんか?
誰かに決定権を託すと、自分の思っていた道と違った時きっとその誰かのせいにしてしまうと思うんです。
それは良くないですよね。
だから自分の人生は自分で決める。
そして自分で責任を持つ。
もし自分で選んだ扉の先が思っていた道と違ったとしても、それを選んだのは自分。
自分で決めたことなのだから誰のせいでもありませんよね。
今の自分、好きですか?
私は今の自分が好きです。
ですが数年前まではそんな風に思えていませんでした。
良くないことが起こると後悔ばかりして後ろ向きな考え方でした。
赤信号に引っかかるだけで、「あ〜あっちの道から行けばよかった」とか、「家を出る前に声かけられたからやわ」とか思ってしまっていました。
人間が小さいですよね。
今は良くないことが起こっても、それをプラスに考えられるようになってきました。
例えば私は鬱病になったけれど、それがあったから本当に大切なことに気付けました。
自分の軸となるもの、芯となる考え方が見えました。
仕事も辞め自暴自棄になり生きていることすらしんどかったですが、それがあったから今の私がここにいるんだと思います。
20代の頃は、こんなに早く結婚していなければもっと旅行を楽しめていたのに…とか、もっと買いたいものも買えたのに…と思った時もありました。
ですが、この人生を選んだのは、決めたのは私自身なんです。
あの時の決断がなければ今の私はいないんです。
3人の子どもがいるのはあの時結婚を決めたからです。
そう思うと全て「今」に繋がることなので、あの時の決断は間違ってなかったんだと思います。
それでも後悔はしてしまうときもある
いくら自分で悩んで考えて選んで決めたAの扉でも進んで行くうちに大きな壁にぶつかることもあります。
そんな時はきっとBの扉にしたらよかったと後悔してしまうでしょう。
だけど、きっとその壁も意味のあることなんだと思います。
その壁を越えたらきっともっと楽しい未来があるのかもしれない。
Bの扉を選んでいたら出会うことのできなかった人や感じられなかった体験もあるかもしれない。
未来のことはわかりません。
Aの扉を選んだことを変えることはできません。
ですが、Aの扉の先を楽しくすることはできるんです。
目の前に大きな壁があるのなら、頑張って乗り越えるその前にちょっと休憩してもいいでしょう。
美味しいもの食べて、ゆっくり眠って、パワーをためると、大きいと思っていた壁もヒョイッと簡単に越えられるかもしれません。
高い大きいと思っていたのは自分が小さく縮こまっていたからそう見えていただけかもしれませんよ。
人生に無駄な経験なんてない
私がこんな風に考えられるようになれたのは、今の自分そのものを受け入れられるようになったからです。
きっと鬱病のなった時にしっかりと自分自身と向き合える時間を持てたからです。
人生に休憩が必要な時もあります。
いつだって全速力では疲れてしまいますからね。
休んだっていいんです。
走っている時には見えなかった道端に咲く花に気付けるかもしれない。
たっぷり休んで深呼吸して心も体もリフレッシュしたらまた歩き出せばいいと思います。
私は平坦な道ばかりではなくとんでもなく険しい山道もあったし、泥水に浸かったこともあったし、坂道を転がり落ちたこともありましたが、そんな道に続く扉を選んだことを後悔はしていません。
それは今が幸せだからです。
全ての経験があって今の私はいる。
苦しい経験も思い出したくない過去も全て無駄ではなかったと思ってます。
人生は一度きりです。
楽しいことばかりじゃないかもしれませんが、楽しくしていくことはできます。
自分と向き合い、何が一番大切で何を守りたいか。
その芯になる部分さえぶれなければなんとかなります。
自分で考え自分で決め、自分で責任を持つ。
自分の人生ですもん。
自分で舵とっていきましょ!